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2014年10月30日

通常営業へ復帰しております!!

ご無沙汰しておりますが、義母の告別式も終わってようやく仕事に戻っております。
私事にてご迷惑をおかけしましたが、かえってお気遣いいただいたお客様にはこの場を借りて厚く御礼申し上げます。

実は、亡くなった義母は私も惚れるアネゴなので少しご紹介しましょうface02

義母は昭和4年生まれ、8人兄弟の長女で実家は八百屋、身長が160cmを超える体格の持ち主、戦争末期には横須賀の海軍工廠に勤労動員、そして、当時の高等女学校では陸上部、砲丸投げで国体(17年か18年)の選手に選ばれながら、遠征のための米3升が用意できずに断念と聞いています。

通常営業へ復帰しております!!
後列向かって左が義母、勤労動員へ発つ記念かと思われる写真で昭和19年1月の書き込みあり、着ているのは昭和17年制定の標準服。

通常営業へ復帰しております!!
右端のひときわ大きい女性が義母ですface02

戦後は洋裁を習い、自分で仕立てたドレスで茨城に近い実家から郡山のダンスホールに通ったという活発な女性で、あの時代に恋愛もしており、生前は恋愛結婚の義父とのラブレター見せながらのろけておりました。

笑ったのは、子供のころの数え歌「ロシヤ~ヤバンコク~クロパトキン~キンノタマ~マックロケ~ケツノアナハクサイ~」face02や、勤労動員でお世話になったマントの似合う海軍士官さん、駅で見送った日赤救護看護婦の姿など、いつも快活な話術で当時の想い出をたくさん語ってくれましたよ。

ちなみに彼女の息子の一人(義弟)もデイープなミリタリー好きな飛行機モデラーで、またバーテンダー歴20年余、郡山駅前でトラディショナルなBAR「八百甚」(義母の生家の屋号)を開業しており、ミリタリーと飛行機模型の話ができる全国でも珍しいマスターとして有名ですicon22

お近くにおいでの際は、ぜひ寄ってみてくださいませface01

私にもたくさんの愛情を持って接してくれた義母には感謝感謝ですが、こうして戦時中の生き証人は鬼籍に入るさびしい時代ですね。

皆様もお身内のお年寄りに話を聞いておかれるようお勧めします。

さて、新入荷ですが、久々のJマレー社のM2空挺ヘルメット、そして米軍の実物メスキットが6個入荷しておりますicon09
いずれも、きれいな状態のものを選って入れましたので、ご満足いただけると思います。

詳しくは次のご紹介でicon23icon23icon23







Posted by PKミリタリア at 22:38│Comments(0)
 
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