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2014年07月13日

中田商店回顧~その・・・・

日本のミリタリー業界の先駆者たる中田商店でバイトしたくだりを最初の頃に書きましたが、今日はその続きをつれづれに・・・・face02

COMBAT誌の創刊は1980年で、私が中田にいたのは1976年からでしたから、まだミリタリー業界はモデルガンと模型、沖縄からの放出品はベトナム一色で、渋谷のアルバンが唯一実物のWW2物を販売していたくらいでした。

熱心な模型少年の私の行動範囲は、もはや学校ではなく中田を中心に銀座のイエナ(洋書店)でドイツ軍や米軍の洋書資料をあさり、渋谷のアルバンで高価なドイツ軍ものによだれを流し(笑)、アメ横の放出品屋でWW2物を探すといった日々に費やされていきました。

当時の時給は¥400、朝10時の開店から夕方8時の閉店までバイトをすると一日¥4,000になったもので、ほぼ初めてのバイトでしたし(当時は高校生はバイト禁止の時代)、同じマニアの仲間もいて楽しい毎日でしたね。

中でも中田の社長のお姉さんにはとてもよくしてもらいました。社員用のお弁当が余るとよくいただいて、おなかを空かした当時の貧乏学生には本当にありがたいことでしたよface02
でも、お金がたまると、それまで買えなかった反動でモデルガンや洋書に消えていったのは言うでもなく、松戸にあった私の学生寮の部屋は異様な品々がたまっていき、先輩たちに冷やかされたものですface07

当時の中田には、サムズのオサム氏をはじめ、旧軍マニアで今は長野の学校の先生になった二松学舎のY君や、数々の日本軍関係の著書のある「高橋昇」氏も中田に出入りされていて、バイトが終わってからの私たちとよく軍装談義に付き合っていただいてました。

面白いのは、マニアでない方もたくさんいて、アフロヘアにアロハシャツで空手の使い手、バイトに来ては段ボールに手刀をくらわせていた仙台出身のS氏とF氏は中でも異色でしょうか、今もよく覚えています。

あるとき、バイト終わりにみんなで上野のディスコ(その頃全盛です)へ行くことになったのですが~
今はそのまま就職して中田のマネージャーになった中山さん(当時は私の一学年上の先輩)と私、今も手伝ってもらう先輩Cさん、そしてその仙台の2人、もう数人いたかもですが、だいぶ飲んで、気が付くとトイレの前でその仙台組が地元の若いあんちゃん(族だった?)と喧嘩が始まって・・・・私もだいぶ酔っていて事のなりゆきは不明なのですが、結末はどうやら仙台組の敗退~

私は生まれて初めて目の前で見た殴り合いのすごさに圧倒され、その前後の記憶はありませんが、今でもあの喧嘩はバイト仲間の皆さんも覚えていて、笑い話になっています。

まあ、若いって素晴らしい~の時代ですが、みなさん、もう定年近い年頃ですねface02

ではまた次号へ~icon23



Posted by PKミリタリア at 04:08│Comments(0)
 
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