QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 46人

2011年11月24日

中田商店懐古~

店主清水は何を隠そう「中田商店」の出ですface08
18で中田でバイトして以来のヤクザ稼業face07ですが、若い方はそういう時の流れを知らないようですので、ちょっと昔話をしましょうね。

あれは太田裕美の木綿のハンカチーフが流行った年でした。
大学入学の為上京した私は、1年前に上京していた部活の先輩に連れられて上野からアメ横見物~face02

右も左もわからない私に、「お前の好きそうな店があるから連れてってやる」と言われて来たのが、ガード下の「中田商店」です。

それまでの私は、HJ・MA誌などの模型雑誌はもとより、パンツァー等の専門誌を擦り切れるほど読む熱狂的な模型少年で、特にドイツ軍歩兵を中心としたMMフィギアが好きでした。

その頃のHJ誌の特集で「カンプグルッペジーベン」という模型集団が東京にいるということが紹介され、実物のドイツ軍の服まで持っているという・・・・・その事が田舎者の模型オタクには、心躍る、そして多分にその後の私の人生を決定付ける、はたまたいささか厄介でもあるface07病的な感情となって残ったのだと思うのですが・・・・・・。

さて、学校の帰り道毎日のように立ち寄る「中田商店」、今とそう変わらない鈴なりのパイロットジャンバーや米軍放出品がぶら下がる店頭。

1時間くらいはショーケースの前をうろうろジロジロ・・・・

何しろモデルガンも持っていなかった貧乏少年(まあ、それまでの大卒の初任給が10万以下のこの時代に3~4千円のモデルガンは子供のおもちゃにはすこぶる高かった)には当時の「中田商店」はホビーのデパート的な存在で、各社のモデルガンはもちろん、旧軍や米軍の記章や軍服、はたまた、大事な所がマジックで黒塗りの(当時はオケケも見せてはいけなかった時代だった)ポルノ雑誌まで店頭にあるという、摩訶不思議で心躍る空間だったのですface02

そのころは中田忠夫社長の実のお姉さんが店頭にいて、なかなか帰らない私が余程物欲しそうに見えたんでしょうね。
なんと、「お前そんなに好きなら、うちでバイトしてみないか?」と夢のようなお誘いicon06

既に大学で知り合った会津出身の友人から誘われて、大手町の喫茶店でバイトしていた私ですが、二つ返事で了解して、晴れて夢の中田商店のバイト生活が始まったのでした。

次号につづく~icon22


  

Posted by PKミリタリア at 13:11Comments(0)