2011年11月27日
中田商店懐古~その2
さてさて、めでたく中田商店でバイトすることになった私ですが、そこには既に軍装品に魅了された歴戦の先輩たちがいらっしゃいました
最高峰は、今でも自衛隊の迷彩服でガード下の店に出勤しているMさん、自宅から自衛隊の迷彩服に空挺半長靴、ピストルベルトにガバのホルスターを下げて電車で通ってましたから、当時すでに名物?になっていて週刊誌なんかにも取り上げられていましたね
もう、私が50過ぎてますから
、今はずいぶんの御歳ですよ。
私は数か月後に、このM氏のお誘いで、初めて買ったモデルガン、MGCのステンを手に日本軍の格好でモデルガンを使った「戦争ごっこ」なる物にデビューすることになるのですが・・・・・。
さて、この頃、いやさかのぼる事10年も前から、東京では日本のリエナクトのパイオニアともいえる「日本コンバット倶楽部」なる集団が既に活動していていました。
今のように複製品など無い時代ですから、一部は実物、後は代用品的な軍装だったということですが、この中には、皆さんご存知の後のサムズミリタリ屋の社長、本島氏もいたのですよ。
そして、実はなんと・・・・・若き日の本島氏も中田で私と一緒にバイトしていた一人です
ある日一緒になった、先輩本島氏が「ふ~ん・・・模型好きなんだって~カンプとか知ってるのお~?」とか聞いてきたんで、「これこれ、このくらいは好きなんですよ」と反しますと、なんと「俺そのカンプの一人だぜ~」と言うではありませんか
その頃、HJ誌なんかに盛んに投稿していたのは「十川氏」と「山田氏」なんかで「本島」という名前に聞き覚えが無かったものの、HJ誌で見た実物のドイツ軍の軍装品は、ほとんど氏の収集品だとか・・・・「家に遊びに来る?」と言われて喜び勇んでいったのは言うまでもありません
本島氏とはこの時からの付き合いで、今やビクトリーショーや数々のヒストリカルキャンプなどを企画し、中田社長と共に日本のミリタリー業界を牽引してきたと言えるであろう氏ですが、この頃のことを思うと不思議な縁と時の流れの速さを感じますね・・・・・・・
続きはまた~

最高峰は、今でも自衛隊の迷彩服でガード下の店に出勤しているMさん、自宅から自衛隊の迷彩服に空挺半長靴、ピストルベルトにガバのホルスターを下げて電車で通ってましたから、当時すでに名物?になっていて週刊誌なんかにも取り上げられていましたね


私は数か月後に、このM氏のお誘いで、初めて買ったモデルガン、MGCのステンを手に日本軍の格好でモデルガンを使った「戦争ごっこ」なる物にデビューすることになるのですが・・・・・。
さて、この頃、いやさかのぼる事10年も前から、東京では日本のリエナクトのパイオニアともいえる「日本コンバット倶楽部」なる集団が既に活動していていました。
今のように複製品など無い時代ですから、一部は実物、後は代用品的な軍装だったということですが、この中には、皆さんご存知の後のサムズミリタリ屋の社長、本島氏もいたのですよ。
そして、実はなんと・・・・・若き日の本島氏も中田で私と一緒にバイトしていた一人です

ある日一緒になった、先輩本島氏が「ふ~ん・・・模型好きなんだって~カンプとか知ってるのお~?」とか聞いてきたんで、「これこれ、このくらいは好きなんですよ」と反しますと、なんと「俺そのカンプの一人だぜ~」と言うではありませんか

その頃、HJ誌なんかに盛んに投稿していたのは「十川氏」と「山田氏」なんかで「本島」という名前に聞き覚えが無かったものの、HJ誌で見た実物のドイツ軍の軍装品は、ほとんど氏の収集品だとか・・・・「家に遊びに来る?」と言われて喜び勇んでいったのは言うまでもありません

本島氏とはこの時からの付き合いで、今やビクトリーショーや数々のヒストリカルキャンプなどを企画し、中田社長と共に日本のミリタリー業界を牽引してきたと言えるであろう氏ですが、この頃のことを思うと不思議な縁と時の流れの速さを感じますね・・・・・・・
続きはまた~

Posted by PKミリタリア at
02:53
│Comments(1)
2011年11月24日
中田商店懐古~
店主清水は何を隠そう「中田商店」の出です
18で中田でバイトして以来のヤクザ稼業
ですが、若い方はそういう時の流れを知らないようですので、ちょっと昔話をしましょうね。
あれは太田裕美の木綿のハンカチーフが流行った年でした。
大学入学の為上京した私は、1年前に上京していた部活の先輩に連れられて上野からアメ横見物~
右も左もわからない私に、「お前の好きそうな店があるから連れてってやる」と言われて来たのが、ガード下の「中田商店」です。
それまでの私は、HJ・MA誌などの模型雑誌はもとより、パンツァー等の専門誌を擦り切れるほど読む熱狂的な模型少年で、特にドイツ軍歩兵を中心としたMMフィギアが好きでした。
その頃のHJ誌の特集で「カンプグルッペジーベン」という模型集団が東京にいるということが紹介され、実物のドイツ軍の服まで持っているという・・・・・その事が田舎者の模型オタクには、心躍る、そして多分にその後の私の人生を決定付ける、はたまたいささか厄介でもある
病的な感情となって残ったのだと思うのですが・・・・・・。
さて、学校の帰り道毎日のように立ち寄る「中田商店」、今とそう変わらない鈴なりのパイロットジャンバーや米軍放出品がぶら下がる店頭。
1時間くらいはショーケースの前をうろうろジロジロ・・・・
何しろモデルガンも持っていなかった貧乏少年(まあ、それまでの大卒の初任給が10万以下のこの時代に3~4千円のモデルガンは子供のおもちゃにはすこぶる高かった)には当時の「中田商店」はホビーのデパート的な存在で、各社のモデルガンはもちろん、旧軍や米軍の記章や軍服、はたまた、大事な所がマジックで黒塗りの(当時はオケケも見せてはいけなかった時代だった)ポルノ雑誌まで店頭にあるという、摩訶不思議で心躍る空間だったのです
そのころは中田忠夫社長の実のお姉さんが店頭にいて、なかなか帰らない私が余程物欲しそうに見えたんでしょうね。
なんと、「お前そんなに好きなら、うちでバイトしてみないか?」と夢のようなお誘い
既に大学で知り合った会津出身の友人から誘われて、大手町の喫茶店でバイトしていた私ですが、二つ返事で了解して、晴れて夢の中田商店のバイト生活が始まったのでした。
次号につづく~

18で中田でバイトして以来のヤクザ稼業

あれは太田裕美の木綿のハンカチーフが流行った年でした。
大学入学の為上京した私は、1年前に上京していた部活の先輩に連れられて上野からアメ横見物~

右も左もわからない私に、「お前の好きそうな店があるから連れてってやる」と言われて来たのが、ガード下の「中田商店」です。
それまでの私は、HJ・MA誌などの模型雑誌はもとより、パンツァー等の専門誌を擦り切れるほど読む熱狂的な模型少年で、特にドイツ軍歩兵を中心としたMMフィギアが好きでした。
その頃のHJ誌の特集で「カンプグルッペジーベン」という模型集団が東京にいるということが紹介され、実物のドイツ軍の服まで持っているという・・・・・その事が田舎者の模型オタクには、心躍る、そして多分にその後の私の人生を決定付ける、はたまたいささか厄介でもある

さて、学校の帰り道毎日のように立ち寄る「中田商店」、今とそう変わらない鈴なりのパイロットジャンバーや米軍放出品がぶら下がる店頭。
1時間くらいはショーケースの前をうろうろジロジロ・・・・
何しろモデルガンも持っていなかった貧乏少年(まあ、それまでの大卒の初任給が10万以下のこの時代に3~4千円のモデルガンは子供のおもちゃにはすこぶる高かった)には当時の「中田商店」はホビーのデパート的な存在で、各社のモデルガンはもちろん、旧軍や米軍の記章や軍服、はたまた、大事な所がマジックで黒塗りの(当時はオケケも見せてはいけなかった時代だった)ポルノ雑誌まで店頭にあるという、摩訶不思議で心躍る空間だったのです

そのころは中田忠夫社長の実のお姉さんが店頭にいて、なかなか帰らない私が余程物欲しそうに見えたんでしょうね。
なんと、「お前そんなに好きなら、うちでバイトしてみないか?」と夢のようなお誘い

既に大学で知り合った会津出身の友人から誘われて、大手町の喫茶店でバイトしていた私ですが、二つ返事で了解して、晴れて夢の中田商店のバイト生活が始まったのでした。
次号につづく~

Posted by PKミリタリア at
13:11
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2011年11月11日
本栖ウインターフロント近し~
この所初出しが忙しく、ミリブロの更新もままならない今日この頃ですが、皆さんはいかがお過ごしでしょう
最近の収穫は日本軍の防弾チョッキで、警察官をされていた方の持ち物の中に、丁寧にしまわれていました。
中に鉄板を仕込んだ作りですが、鉄板のサビもほとんど無く大変きれいな品です。
一緒に出たのは水筒・飯盒・大号の夏短袴・白い襟布(三角巾?)・白の作業衣、それから昭和60年代の警察官の制服が夏・冬一式、未使用の制帽2個などなど・・・
一部はヤフオクに出品中ですので、ご確認を
従軍時代の詳しい経歴はわかりませんが、警察の制服には」警部補」の階級がありました。
またこの日曜日に行って、残りを引き取ってきますので、新発見があるかもしれませんね
さて、12月3~4日はサムズミリタリ屋主催のヒストリカルゲーム「ウインターフロント」が本栖湖で開催されます。
当店も出店しますので、皆さんバルジの防寒装備で参戦しましょう
ここで、新入荷の大戦中の米軍毛布・未使用デッドストックを紹介しましょう
1942年¥16.800と44年製¥15.800の2枚、医療部隊に支給されたものですが、未使用で、虫穴等のダメージも全くない状態の完全品です。





最近の収穫は日本軍の防弾チョッキで、警察官をされていた方の持ち物の中に、丁寧にしまわれていました。
中に鉄板を仕込んだ作りですが、鉄板のサビもほとんど無く大変きれいな品です。
一緒に出たのは水筒・飯盒・大号の夏短袴・白い襟布(三角巾?)・白の作業衣、それから昭和60年代の警察官の制服が夏・冬一式、未使用の制帽2個などなど・・・


従軍時代の詳しい経歴はわかりませんが、警察の制服には」警部補」の階級がありました。
またこの日曜日に行って、残りを引き取ってきますので、新発見があるかもしれませんね

さて、12月3~4日はサムズミリタリ屋主催のヒストリカルゲーム「ウインターフロント」が本栖湖で開催されます。
当店も出店しますので、皆さんバルジの防寒装備で参戦しましょう

ここで、新入荷の大戦中の米軍毛布・未使用デッドストックを紹介しましょう

1942年¥16.800と44年製¥15.800の2枚、医療部隊に支給されたものですが、未使用で、虫穴等のダメージも全くない状態の完全品です。
Posted by PKミリタリア at
00:52
│Comments(2)
2011年11月01日
実動ケッテンクラートの乗る@@@@@@
29日~30日と御殿場で開催のヒストリカルゲーム「ケ号作戦」に出店してきましたよ~Fritzさん、お疲れ様でした
天候にも恵まれ、今回はなんと実働のケッテンクラートが乗り放大のオマケ付でしたよ
カマド自動車さんの持ち物で、社長の小林さんが苦労してレストアした車両です。2008年の本栖湖ウインターフロント以来のご対面でした
レストアの工程は「ケッテンクラート解体新書」PANZER臨時増刊にまとめられていますが、モデラーと軍装オヤジは絶対買いましょう~
カマド自動車さんでは、戦後のワーゲンシャーシに新造のフルコピー金属ボディ-を乗せたキューベルワーゲン(写真参照)も売っています
ナンバーの1944が泣かせます
こちらは今円高で500万円台とお安くなっているとか~やっぱプラキューよりいいなあ~
さびた実物より、お金がかからずお勧めです
店主・清水も久しぶりに心躍りました




天候にも恵まれ、今回はなんと実働のケッテンクラートが乗り放大のオマケ付でしたよ

カマド自動車さんの持ち物で、社長の小林さんが苦労してレストアした車両です。2008年の本栖湖ウインターフロント以来のご対面でした

レストアの工程は「ケッテンクラート解体新書」PANZER臨時増刊にまとめられていますが、モデラーと軍装オヤジは絶対買いましょう~
カマド自動車さんでは、戦後のワーゲンシャーシに新造のフルコピー金属ボディ-を乗せたキューベルワーゲン(写真参照)も売っています


こちらは今円高で500万円台とお安くなっているとか~やっぱプラキューよりいいなあ~
さびた実物より、お金がかからずお勧めです

店主・清水も久しぶりに心躍りました

Posted by PKミリタリア at
14:08
│Comments(3)